2013年4月21日日曜日

いつの日か

まだ、幼い頃、車の行き交うその道路は舗装などはされていない。
車が通るというよりは、部落の人々がせいぜい耕運機かリヤカーを
押して通う道であった。車が通るといったことはほとんどなかったと思う。
当時、部落に軽のトラックが何台あったのかは記憶にない。

舗装されてない道路沿いに池が2つあった。
池はY部落とI部落の間に上と下に二つあり、その下流部の田畑を潤していた。
田んぼへは下の池の脇の小道を通り、池に注ぎ込む所から少し上流部にあった。
そこには小さな堰があり、何段かの田に水を引いていた。
ちょっとした大岩も水路の縁にあった。
なぜか、そこに大きな青大将がいたことが思いだされる。
舗装されていない道路の分岐から子供の足で20分程だったであろうか。
途中、のどを潤す、出水(でみ)があったのを記憶している。

春から夏時期になると静かな田園風景が広がる。
まだ肌寒い春先、山の下刈りに。木の芽が吹き出した後、苗代作りから田植えの
準備、夏暑い盛りにも草刈等。秋、収穫を終え、一年が過ぎる。

棚田はきれいだった。機械の少ない頃、ほとんど手作業での石積み修復、
あぜの修理等、先人たちの苦労は計り知れない。

先日、現地に所用で訪れてみた。先ず、小道はすぐ通れなくなり、どこがどこか
さっぱり不明である。あの大岩も堰もどこに行ったのだろう。
山間のわずかなネコの額ほどのスペースに耕していたその光景はもはやない。
あの美しい野山、原風景はどこに行ったのだろう。
その頃、当然と思われていた景色は荒れ果て、つわものどもが夢のあとである。

時は過ぎ去っていく。そのまま過ぎていけばよいのだが、そうはいかない。
作るのもたいへんな労力が必要だが、その維持管理はもっと大変である。

先人たちが我々に残してくれた素晴らしい財産を大切に受け継ぐ事が肝要だ。
登山ルート、クライミングルート、すべては大切に登らせて頂き、その都度、
整備等に気配りをするべきなのだと思う。
近場、なじみのエリアではなおさらのことと考える。

ブログの開始からいちねん。また、これからの一年が楽しみである。
楽しむためには、それなりの内部、外部の努力がいる。



2 件のコメント:

  1. いろはさん、こんにちは^^

    ウン十年前の思い出の風景を訪ねてみたら、ずいぶん様相が変わっていたようですね。
    私は海沿いで育ったので、もっぱら浜辺で遊んでましたが、今では埋め立てられて砂浜はありません。

    次の世代の子供たちのために、海も山も自然のままの姿をできるだけ残したいものですね。

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  2. 現状を上手くは表現できませんでしたが、
    少し、ショックを受けました。
    しかし、次世代に引き継ぐという事は大切です。
    出来うる限りの努力をしようではありませんか。

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